室井佑月さんがブログをはじめたらしい。
室井佑月さんのブログはこちらから
「とにかくあたしったらものすごい自分好き。それはもう病的なほど。」という文章がある。私はその言葉に正直驚いた。
私はいえない。正確に言えばいえなかった。今は少しいえる。
自分を好きっていえる人は私はすごいなあって思う。
私は自分を好きにはずっとなれなかった。
自分が好きな人はまあ人それぞれだけど、自分のことを愛することができる人、大切にできる人は
その分周りの人間のことも大切にできるゆとりもあるのではないだろうか?
振り返れば、私は自分が嫌いのとき、周りの人間のほうが大好きだった。けど、よくよく考えれば、自分を好きでなく、愛せなくて、大切に出来ないのなら、周りに人間も愛せて、好きで大切にできるのか?という疑問がいまならある。
今思えば八方美人だったとおもうし、偽善者だったとおもう。
また、自分の健康を守れず、人の健康も守れるか?というたとえもある。
ようは自分のことが嫌いなとき、周りのことも考えてあげれる余裕は今思えばなかったと思う。
だから、私もいつか自分が大好きと胸を張っていえたときには、きっと今の自分とは違うとおもうし、今よりも私の周りの人たちにやさしく出来て大切にできる人間に成長できたらいいなとおもう。
というよりそれが今の目標かな?
2004年03月07日
姉と私
昨日私の姉と義兄が遊びにきた。
姉は私より2歳上である。
私は自分では姉とあんまり似ているとは思っていなかった。
身長は私より高い。やせている。性格もぜんぜんにていない。
顔も似ていない。
けど、そうおもっていたのは自分だけだったらしい。
体格は確かに違うが、夫や義兄は「やっぱり姉妹だな。」というのである。
夫や義兄いわく私たち姉妹は何気に同じような行動、発言をしているらしい。
私にとって姉はどんな存在なのか?と考えたことが合った。
それは姉の結婚が決まってからだ。
姉と私は、一緒に同じ学校にいったことがあまりない。
そして、18歳で家を私は出たので、もしかしたら世の中の姉妹に比べて、一緒にいる機会は少なかったかもしれない。
正直私は世の中で一番頭が上がらない人は誰か?ときかれたら姉かもしれない。姉は私が間違った方向いきそうになって親の言葉が聞き入れられなくなったときすごい剣幕で怒ってくれた。
そのおかげで親の言葉がスウーと入ったのである。
父親と大喧嘩をし殴りあいになった時に姉は私の体を覆って仲裁してくれた。(もちろん母親もだ。)
小さいころ姉によくくっついて遊んでた記憶がある。
母が働いていたときも、姉がよくリンゴむいてくれた。
小さなことだけど、姉の一つ一つの行動がやっぱり私のことをかわいがってくれてたんだなって大人になって実感した。
確かによく喧嘩もした。
なぜあんなにしたのかもわからない。病気したときや仕事のことで辛く精神的に参ってたときには何も言わず、なにも聞かず、私が話すと笑って聞いていてくれた。正直そういう姉のやさしさに私は心から救われた。
そう考えると、やっぱり姉は、私にとってなくてはならない存在で、我が家にとっても存在が大きいのである。
姉が入籍する話を聞いたときすごい嬉しかった。
けど、反面さびしかった。なぜか涙が止まらないのだ。
自分でもよく分からない。
義兄は昔から知っているので安心して姉のことも任せられる。
というよりも義兄と結婚してくれたらいいなーと昔から思っていたので念願がかなったのだ。念願がかなったのにさびしいのは変だとはおもう。
複雑である。
うちの姉妹は微妙なところが合って、面と向かっていえないことも少しある。
恥ずかしいのだ。
けど、嫌いとかではなくむしろ大好きなのでいえないのだ。
世の中の姉妹はいったいどんな感じなんでしょう?
ちなみに義兄のことも今はまだ「○○さん」としかいえない。
お兄ちゃんとは友達や夫に話すときはいうのだが、どうも面と向かってまだいえない。
恥ずかしい。
きっと結婚したてのころ義父、義母のことを「おとうさん、おかあさん」といえなかったのと同じかもしれない。
そのうちいえるようになるとは思うけど。
まあとにかく姉、義兄が仲良く幸せに暮らして暮れれば、妹としても幸せである。
姉は私より2歳上である。
私は自分では姉とあんまり似ているとは思っていなかった。
身長は私より高い。やせている。性格もぜんぜんにていない。
顔も似ていない。
けど、そうおもっていたのは自分だけだったらしい。
体格は確かに違うが、夫や義兄は「やっぱり姉妹だな。」というのである。
夫や義兄いわく私たち姉妹は何気に同じような行動、発言をしているらしい。
私にとって姉はどんな存在なのか?と考えたことが合った。
それは姉の結婚が決まってからだ。
姉と私は、一緒に同じ学校にいったことがあまりない。
そして、18歳で家を私は出たので、もしかしたら世の中の姉妹に比べて、一緒にいる機会は少なかったかもしれない。
正直私は世の中で一番頭が上がらない人は誰か?ときかれたら姉かもしれない。姉は私が間違った方向いきそうになって親の言葉が聞き入れられなくなったときすごい剣幕で怒ってくれた。
そのおかげで親の言葉がスウーと入ったのである。
父親と大喧嘩をし殴りあいになった時に姉は私の体を覆って仲裁してくれた。(もちろん母親もだ。)
小さいころ姉によくくっついて遊んでた記憶がある。
母が働いていたときも、姉がよくリンゴむいてくれた。
小さなことだけど、姉の一つ一つの行動がやっぱり私のことをかわいがってくれてたんだなって大人になって実感した。
確かによく喧嘩もした。
なぜあんなにしたのかもわからない。病気したときや仕事のことで辛く精神的に参ってたときには何も言わず、なにも聞かず、私が話すと笑って聞いていてくれた。正直そういう姉のやさしさに私は心から救われた。
そう考えると、やっぱり姉は、私にとってなくてはならない存在で、我が家にとっても存在が大きいのである。
姉が入籍する話を聞いたときすごい嬉しかった。
けど、反面さびしかった。なぜか涙が止まらないのだ。
自分でもよく分からない。
義兄は昔から知っているので安心して姉のことも任せられる。
というよりも義兄と結婚してくれたらいいなーと昔から思っていたので念願がかなったのだ。念願がかなったのにさびしいのは変だとはおもう。
複雑である。
うちの姉妹は微妙なところが合って、面と向かっていえないことも少しある。
恥ずかしいのだ。
けど、嫌いとかではなくむしろ大好きなのでいえないのだ。
世の中の姉妹はいったいどんな感じなんでしょう?
ちなみに義兄のことも今はまだ「○○さん」としかいえない。
お兄ちゃんとは友達や夫に話すときはいうのだが、どうも面と向かってまだいえない。
恥ずかしい。
きっと結婚したてのころ義父、義母のことを「おとうさん、おかあさん」といえなかったのと同じかもしれない。
そのうちいえるようになるとは思うけど。
まあとにかく姉、義兄が仲良く幸せに暮らして暮れれば、妹としても幸せである。
2004年02月07日
自分と自分の周りをたまには見つめなおそう。
意外と自分を見直そうと思ってもどうすればいいか分からないもの。
けど、ちょっとしたきっかけで自分を見つめなおす機会はきっと誰でもあるはず。
そのきっかけを気づく人、気づかない人ってきっといるとおもう。
私は、たぶん自分を見直すきっかけが、「病気」だった。
なぜ「病気になったのか?」から始まった。
そして「私はいつのころからかこんな性格になったのだろう?」と思うようになったのである。
人はきっと自分の悪いところを言われるといってくれた相手を批判したくなる。
こんな経験は誰しもがあるとおもう。
なぜなら図星だから。
それって意外と自分の悪い所を変えるチャンスなのにやっぱり人間目をふさぎたくなる。
そんな時目をふさがず向かい合ってみる勇気も必要なのではないかと最近おもう。
私は病気になる前は俗に言う「八方美人、完璧主義者」でした。
たとえば自分の中に人それぞれ「心の法律」があるとしたら、私は人よりかなり厳しい「心の法律」を作っていたと思う。
人のことも気になるけど何よりも「自分」に許せないところがたくさんあった。
病気になって時間が出来て仕事もやめて正直今までやっていたことすべてを「一時ストップ」してみたことがある。
そして考えた結果の答え「私は自分が嫌い」
それがわかってから。どこが嫌いか?考えるようになった。
人から言われたら嫌といえない私。
自分は犠牲になっても人を優先してしまう私。
周りが自分をどう評価しているのかということを気にしてしまう私。
その他たくさんありました。
そんなこんながあって、自分を変えるチャンスをものにすることが出来た。
そして今は「自分が少し好きになった」私がいます。
その後再就職先の上司に言われた言葉。眼からうろこです。
「人間には好きな人間と嫌いな人間半分ずついなくてはいけない。」
好きな人間ばかりだと自分の悪いところを考えなくなる。嫌いな人間がいることで自分の悪いところの考えたり、嫌いな人と一緒に仕事するときは話したくないから仕事一生懸命探したりもする。
言われてみれば確かにそうかもしれない。
人生のうち人間はふるいにかけられること、かけることがあると思う。
多分ちょうど20代後半は結婚したり、昇進したりで人生の出来事がたくさんある。
そんな時、人間関係の整理が始まる。
それが振るいにかけられ、かける時期なのだとおもう。
人間関係の整理を自分がされてしまったり、してしまったりしても
最後にのこってる友人は「本当に友達」ということに気づく自分がいたら、きっとそれは人間として成長したのではないかとおもう。
私は病気をした時にかなり人からふるいに落とされたとおもう。
あの頃は誰を信じていいのか正直分からなかった。
けど、今連絡とってる友人はやっぱり自分にとってとても必要で、お互い生活している環境によってなかなかしょっちゅうあえないこともあるけど、たまに会ったりすると意思の疎通がはっきり出来て嬉しいものである。
本当に信じれる人間に出会えた時にもしかしたら初めて生きてる喜びを実感できる瞬間かもしれない。
そして自分がすきっていえたらそのときは本当の自分に向き合えた結果かも知れない。
ちょっとしたきっかけを逃さず皆さんも自分を自分の周りをたまに見つめなおしてみるのもいいかもしれませんよ。
今日はちょっとコボの語り部屋になってしまいました。
けど、ちょっとしたきっかけで自分を見つめなおす機会はきっと誰でもあるはず。
そのきっかけを気づく人、気づかない人ってきっといるとおもう。
私は、たぶん自分を見直すきっかけが、「病気」だった。
なぜ「病気になったのか?」から始まった。
そして「私はいつのころからかこんな性格になったのだろう?」と思うようになったのである。
人はきっと自分の悪いところを言われるといってくれた相手を批判したくなる。
こんな経験は誰しもがあるとおもう。
なぜなら図星だから。
それって意外と自分の悪い所を変えるチャンスなのにやっぱり人間目をふさぎたくなる。
そんな時目をふさがず向かい合ってみる勇気も必要なのではないかと最近おもう。
私は病気になる前は俗に言う「八方美人、完璧主義者」でした。
たとえば自分の中に人それぞれ「心の法律」があるとしたら、私は人よりかなり厳しい「心の法律」を作っていたと思う。
人のことも気になるけど何よりも「自分」に許せないところがたくさんあった。
病気になって時間が出来て仕事もやめて正直今までやっていたことすべてを「一時ストップ」してみたことがある。
そして考えた結果の答え「私は自分が嫌い」
それがわかってから。どこが嫌いか?考えるようになった。
人から言われたら嫌といえない私。
自分は犠牲になっても人を優先してしまう私。
周りが自分をどう評価しているのかということを気にしてしまう私。
その他たくさんありました。
そんなこんながあって、自分を変えるチャンスをものにすることが出来た。
そして今は「自分が少し好きになった」私がいます。
その後再就職先の上司に言われた言葉。眼からうろこです。
「人間には好きな人間と嫌いな人間半分ずついなくてはいけない。」
好きな人間ばかりだと自分の悪いところを考えなくなる。嫌いな人間がいることで自分の悪いところの考えたり、嫌いな人と一緒に仕事するときは話したくないから仕事一生懸命探したりもする。
言われてみれば確かにそうかもしれない。
人生のうち人間はふるいにかけられること、かけることがあると思う。
多分ちょうど20代後半は結婚したり、昇進したりで人生の出来事がたくさんある。
そんな時、人間関係の整理が始まる。
それが振るいにかけられ、かける時期なのだとおもう。
人間関係の整理を自分がされてしまったり、してしまったりしても
最後にのこってる友人は「本当に友達」ということに気づく自分がいたら、きっとそれは人間として成長したのではないかとおもう。
私は病気をした時にかなり人からふるいに落とされたとおもう。
あの頃は誰を信じていいのか正直分からなかった。
けど、今連絡とってる友人はやっぱり自分にとってとても必要で、お互い生活している環境によってなかなかしょっちゅうあえないこともあるけど、たまに会ったりすると意思の疎通がはっきり出来て嬉しいものである。
本当に信じれる人間に出会えた時にもしかしたら初めて生きてる喜びを実感できる瞬間かもしれない。
そして自分がすきっていえたらそのときは本当の自分に向き合えた結果かも知れない。
ちょっとしたきっかけを逃さず皆さんも自分を自分の周りをたまに見つめなおしてみるのもいいかもしれませんよ。
今日はちょっとコボの語り部屋になってしまいました。
2004年01月21日
私の仕事
私は以前と言うかここ一年位前まで、看護師をしていた。
今は専業主婦をしてる。
看護師になったきっかけは、母だった。母は姉には銀行員、私には看護師をさせたかった。答えは簡単。生きていく中で何があっても、生きていけるようにと言うことで、資格をもつ仕事についてほしかったのである。姉は多分私が思うには、計算が得意で、デスクワークにむいてると思われる。私は、性格的にデスクワークにはむいていないと判断して姉に銀行員、私は看護師にということになったらしい。
看護師で働いてた新人の頃は「ナースのお仕事」の朝倉とまではいかないが、似たような失敗はした。
夜勤のとき朝検温が終わって患者さんの朝の食事を配っているときに配膳車のコントロールが上手くいかず廊下にぶつけて何人分かのご飯を台無しにしてしてしまって、給食のお姉さんに頭を下げて、作ってもらったこともあった。
配属先は脳外科と整形外科の混合病棟。脳外科の急変があっても、整形外科の手術出しをする、本当に今思えばなんて過酷なところで働いていたのだろうと自分でもおもう。
新人の私は、本当に泣き虫ナースだった。指導ナースと私は馬が合わず、いつも怒られていた。と言うかいじめられていた。
そんな時いつも慰めてくれるのは患者さんだった。
今でも覚えているのは、入社してすぐに受け持った患者さんは母と同じ年だった。脳外科の患者さんだったので、オペ前は(手術前)バリカンで坊主にしなくてはならない。人を坊主にすることもはじめてだったし、母親とダブらせた私は、泣いてしまった。
その患者さんから「泣かないで。私まで悲しくなる。あなたはやさしすぎるのね。けど、元気になるためだから。あなたと一緒に頑張るから。」
今思えばとんでもない看護師だよね。
患者さんのほうが泣きたいよね。
けど、あの頃の私は涙が止まらず、泣きながらバリカンで髪をそった。
その気患者さんが元気になって退院するときに「そのとき私は涙が出そうだった。けど、あなたが先に泣いてくれたおかげで気が楽になった。だって、看護師さんが泣いてくれることなんてめったにないわよ。その気持ち大事にいい看護師さんになってね。」
あれから、もう何年経っただろう。
私は志した頃の理想の看護師になれただろうか?
いろんな患者さんに会って、本来なら私が支なければいけないのに、逆に支えて思ったことたくさんあった。
私が結婚すると聞いて司会をしてくれるといってくれた人もいた。
私は、看護師という仕事が大好きだ。
体を拭いてあげたり、足を洗ってあげながら患者さんの話しを聞くのがだいすきだった。
また、機会があったら、やりたいな。
今日はまじめな話しになってしまった。
今は専業主婦をしてる。
看護師になったきっかけは、母だった。母は姉には銀行員、私には看護師をさせたかった。答えは簡単。生きていく中で何があっても、生きていけるようにと言うことで、資格をもつ仕事についてほしかったのである。姉は多分私が思うには、計算が得意で、デスクワークにむいてると思われる。私は、性格的にデスクワークにはむいていないと判断して姉に銀行員、私は看護師にということになったらしい。
看護師で働いてた新人の頃は「ナースのお仕事」の朝倉とまではいかないが、似たような失敗はした。
夜勤のとき朝検温が終わって患者さんの朝の食事を配っているときに配膳車のコントロールが上手くいかず廊下にぶつけて何人分かのご飯を台無しにしてしてしまって、給食のお姉さんに頭を下げて、作ってもらったこともあった。
配属先は脳外科と整形外科の混合病棟。脳外科の急変があっても、整形外科の手術出しをする、本当に今思えばなんて過酷なところで働いていたのだろうと自分でもおもう。
新人の私は、本当に泣き虫ナースだった。指導ナースと私は馬が合わず、いつも怒られていた。と言うかいじめられていた。
そんな時いつも慰めてくれるのは患者さんだった。
今でも覚えているのは、入社してすぐに受け持った患者さんは母と同じ年だった。脳外科の患者さんだったので、オペ前は(手術前)バリカンで坊主にしなくてはならない。人を坊主にすることもはじめてだったし、母親とダブらせた私は、泣いてしまった。
その患者さんから「泣かないで。私まで悲しくなる。あなたはやさしすぎるのね。けど、元気になるためだから。あなたと一緒に頑張るから。」
今思えばとんでもない看護師だよね。
患者さんのほうが泣きたいよね。
けど、あの頃の私は涙が止まらず、泣きながらバリカンで髪をそった。
その気患者さんが元気になって退院するときに「そのとき私は涙が出そうだった。けど、あなたが先に泣いてくれたおかげで気が楽になった。だって、看護師さんが泣いてくれることなんてめったにないわよ。その気持ち大事にいい看護師さんになってね。」
あれから、もう何年経っただろう。
私は志した頃の理想の看護師になれただろうか?
いろんな患者さんに会って、本来なら私が支なければいけないのに、逆に支えて思ったことたくさんあった。
私が結婚すると聞いて司会をしてくれるといってくれた人もいた。
私は、看護師という仕事が大好きだ。
体を拭いてあげたり、足を洗ってあげながら患者さんの話しを聞くのがだいすきだった。
また、機会があったら、やりたいな。
今日はまじめな話しになってしまった。

